新文学携帯小説について
新文学携帯小説についてさまざまな意見をご紹介します。
既存文学との違和感
携帯小説は2つの側面において既存の文学とは異なっているようです。
ひとつはハードウェアとしての特性。携帯電話の狭い画面で読まれるための独特の書法・表現法があります。
もうひとつはソフトウェアとしての特性。即ち、書き手と読み手が限られている事から来るものです。
紙と携帯画面の違い
よく言われているのが「センテンスが短い」という点。
2008年の日本ケータイ小説大賞を獲得した「あたし彼女」はこの点で大きな話題となりました。
これを肯定的にとらえるならば、「読みやすい・親しみやすい」といった意見になりますね。
反対に、複雑な論理構造を持った表現や幅広い豊かな表現が使われにくいとの評もあります。
つまり文学が「表現や思想を求道する」ものであるとの立場に立ってみれば携帯文学は極めて「非文学的」なのでしょうか。
ただ、文字の色や顔文字・絵文字、更にはアニメーションする絵文字など、紙の上では表現できない新しい表現も出てきていますので、これを新しい可能性として肯定的に見る向きもあります。
作者層・読者層
上記ハードウェアの違いを差し引いても、文章が稚拙である、作品が特定のテーマやシチュエーションに偏っている等の批判も多く見られます。
「レイプ・妊娠・ドラッグ・中絶・死」ばっかり、と言われる携帯小説ですが、これは最初に話題になった「恋空」や「Deep Love」を雛形として書かれる作品が多いからと言われています。
あるジャンルの作品がヒットすると、それを模倣した作品が多く作られるのは良く有ることなので、これもそうした流れなのでしょうか。
今後携帯小説の読者層が、現在の女子中高生を中心とした層から、幅広い層に拡がってくれば、多くの層に受け入れられる作品も増えるのでしょうが、これは「ニワトリが先か、タマゴが先か」といった感があります。
もっともこうした批判は携帯小説に限らず、ライトノベル等にも向けられる事も多いため、携帯小説固有の問題ではないのではないかと思われます。
このため批判する側の硬直性が逆批判されるされる事も多いようです。